坂本勇人選手が2000本安打達成まで、残りあと僅かに迫りました。投手は通算200勝(または250セーブ)、野手は通算2,000本安打を記録することが、プロ野球選手になった時からの大きな目標のひとつでしょう。
プロ野球名球会入りの資格条件になっていることもあり、この記録は偉大な選手の証であり、名誉なことなのです。ジャイアンツの坂本勇人選手について、振り返ってみましょう。
マー君とバッテリーだった
坂本勇人(さかもとはやと)は、1988年12月14日生まれの31歳、兵庫県伊丹市の出身です。少年野球の昆陽里タイガースではピッチャーで、マー君こと田中将大(ヤンキース)がキャッチャー。
同じチームでバッテリーを組んでいたことは有名です。ふたりとも偉大な選手に成長するとは、漫画のようなサクセスストーリーですね。
伊丹シニアを経て、青森県の光星学院高校(現:八戸学院光星高校)に進学。1年の秋からレギュラーの座を掴み、センス溢れる大型遊撃手として活躍しました。甲子園にも1回出場しています。
2006年秋のドラフト会議で、ジャイアンツの1位指名(堂上直倫を抽選で獲れず)で入団しました。2007年の高卒1年目のシーズンで、1軍で9月6日に初安打(初打点)を記録。1年目は3打席で1安打に留まります。
2年目で早くも開幕スタメンの座を掴み、全試合に出場。一躍スターの道を歩み始めました。
公式サイト:https://www.giants.jp/smartphone/G/player/prof_2756.html
最年少記録は逃すも驚異的
2008年から主力選手として毎年進化を遂げ、2019年までの実質12年間で1,884本の安打数を重ねました。2,000本まで残り116本で、2020年のシーズンを迎えることに。
日本プロ野球における2,000本安打の最年少記録(榎本喜八が52年前に31歳7か月で達成)の更新も期待されました。なお、日米通算ではイチローが30歳6か月で別格です。
しかし、開幕が約3か月延期で試合数も少なくなり、とても残念でしたね。2020年10月28日現在で、2,000本まで残り7本です。
残り試合数は11試合、プレッシャーもあると想定されますが、2,000本安打達成と優勝を成し遂げるでしょう。坂本選手は右打者のため、左打者と比べ一塁に遠く内野安打が比較的少ないことと、守備の負担が大きい遊撃手ということを考えると、もう少しで最年少記録という話題に上がるだけでも驚異的なことなのです。
次は張本勲の持つ3,085本の通算最多安打記録を目指してほしいですね。
1988年世代は黄金世代
坂本勇人・田中将大以外にも、1988年度生まれのプロ野球選手の活躍がとても凄いのです。マエケンこと前田健太(ツインズ)、秋山翔吾(レッズ)、柳田悠岐(ソフトバンク)、大野雄大(中日)、宮﨑敏郎・梶谷隆幸(DeNA)、會澤翼(広島)、澤村拓一(ロッテ)、増田達至(西武)など。
斎藤佑樹と田中将大による伝説的な甲子園から、同世代で競い合ってきた結果でしょう。坂本勇人に続き、偉業を達成する選手が多く誕生することは確実な黄金世代です。