広瀬香美がYouTubeでパッション大爆発と話題になっています。1990年代に「冬の女王」と呼ばれ、大ヒット曲を連発した広瀬香美が再ブレイクの兆しです。
2020年7月12日に、テレビ朝日系で放送されたバラエティ番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」2時間SPに、「歌手になりたくないのに歌手になっちゃった先生」として登場。
再注目されている広瀬香美について紹介しましょう。
天才少女時代
広瀬香美(ひろせこうみ)、1966年4月12日生まれの54歳(O型)。和歌山県で生まれ、大阪府で幼少期を過ごし、6歳から福岡県で育ちます。
両親は音楽家ではありませんでしたが、幼少期からピアノや音感レッスンなど音楽の英才教育に通います。毎日猛練習を課せられ、クラシック音楽漬けでした。
すぐに絶対音感を身に着けます。全ての音を音階で聴いてしまい、ドレミの音階で受け答えする変わった子供と学校で思われることもありました。6歳から作曲をする音楽の天才少女でした。
挫折から衝撃の出会い
名門の国立音楽大学・作曲学科に進学しますが、音楽の天才が集まる中で挫折した時、ロサンゼルスの友人とマイケル・ジャクソンのコンサートに行き、その音楽に衝撃を受けます。クラシック以外はずっと禁止されて育っていたのです。
ポップスの作曲家になり、マイケルの曲を作りたいと思いました。マイケルに近づく足掛かりとして、マイケルのボイストレーナーに師事します。
歌手を目指していなかったはずが、ボイトレを受けてめきめき上達。マイケルとのコンタクトは全くできずに時は過ぎます。高額なレッスン費用を工面するため、日本の歌手に楽曲を提供しようと考え、デモテープをレコード会社に送ります。
これがきっかけとなって、声がすばらしいから自分で歌ってデビューするように提案され、お金になるならと歌手志望ではなかったのにデビューすることになりました。
冬の女王誕生
1992年7月にアルバム「Bingo!」を出し、12月にシングル「愛があれば大丈夫」でデビュー。1993年の「ロマンスの神様」がCMソングに採用され大ヒットします。
その後も冬にまつわるヒット曲を連発し「冬の女王」と呼ばれ大ブレイクしました。中学・高校時代に書き溜めていたメロディーも楽曲に多く採用され、実際はゲレンデに行ったことが無く、温暖なロサンゼルスで冷房を強くきかせた部屋で冬をイメージしながら作られた楽曲なのです。
抜群の歌唱力で評価されても、自分は作曲家であり本来歌手ではないという思いが当時はありました。
公式サイト:https://www.hirose-kohmi.com/profile/
広瀬香美Official YouTube channel
「○○を歌ってみた」シリーズで、他の歌手の楽曲をエネルギッシュなピアノ演奏とパワフルにアレンジした歌唱は、まさにパッション全開の広瀬香美ワールド。
分かりやすい楽曲解説と楽しく自由に歌う姿が人気の動画で、大ブレイクした当時を知らない世代にも話題になり、再ブレイクの兆しで大注目です。