公開日 2024年3月13日 最終更新日 2024年3月13日
yama「こだま」の歌詞の意味についてはCMソングにもなっているので、かなり注目されています。
どのようなコラボレーションになっているのか、期待が高まりますよね。では今回はyama 「こだま」の歌詞の意味と、聴く人の心に響くメッセージについて詳しくお伝えしていきましょう。
CMソングについて
yama「こだま」は、NTTドコモ「卒業希望式」CMソングになっています。2024年2月28日にリリースされました。作曲はmaeshima soshiとOHTORAが担当し、歌詞はyama自身が手掛けています。
NTTドコモ「#卒業希望式」は“社会に卒業してほしいこと”を、全国の若者から募集したことから始まりました。そして集まった声を社会へと届けていく、高校生へ向けた応援企画になっています。
「こだま」の歌詞については「#卒業希望式」に寄せられた若者の声に、yama自身が目を通してインスピレーションを受けて作詞をしています。
yama「こだま」とNTTドコモ「卒業希望式」とのコラボレーションムービーも公開しているので、こちらも是非チェックしたいですね。
「こだま」の歌詞の意味について
溢さないでいようと伝えたいのです。もし揺れるような日々だとしても。春の夜風を感じるままでいい、腐らないでいようという気持ちがあるから。
しがらみについては必要ないと感じるのです。囁く言葉は、優しいこだまになってほしいという思いがあるのでしょう。
普通のふりをしながら、おぼつかないまま歩いているのです。血潮の色を隠しながら、ただ野ざらしにされたままの状態で。
誰もが皆、まるで生き急ぐように繰り返される言葉の応酬を感じるのです。上面だけを見ているような気まぐれな戯言に対して、今は泣いているのでしょう。
溢さないでいようと伝えたい、揺れるような日々であったとしても。春の夜風を感じるままでいい。だから腐らないでいようよ。
しがらみなんて要らないのです。囁く言葉については、どうか優しいこだまになってほしいと願うのでしょう。
反響する音が沈黙を破り出したのです。水をやる余裕が本当は少し欲しい。枯れ果ててしまった心も、僕は僕の眼差しにて培っていきたいという強い思いがあるのです。
争い妬んで失い続けてきた日々がある。無数の過去から追われるだけの人生のように感じるのでしょう。壊れた器の欠片を拾い集めていた、そして今も泣いているのです。
忘れないでいようと伝えたい気持ちがあるのです。さまよう夜だとしても、酸いも甘いも嚙み分けられる自分になりたい。
拒まずにいようとしているのです。肩書なんて必要がない、僕の心は確かにこだましていくから。
残響する音は次第に重なり合っていくのです。まるで柔らかい声をあたためるように感じられるのでしょう。
枯れ果てた心だとしても、僕は僕の眼差しにて培っていきたい思いを持っているのです。
yamaのコメント
「こだま」についてyamaからコメントが届いています。社会という大きな集団を変えるには、まず自分自身が変わらなければならない。
希望するだけでは、何も変わっていかないのが現実なのです。でも少数が声をあげても変わらない無力さに襲われ、諦めている人も多いような気がするとyamaは話しています。
情報に溢れる社会で何が正しいのか見定めるのは難しいかもしれない。でも情報を裏返しながらさまざまな視点で見ていくことで偏見を和らげることができる気がすると語るyama。
ただ物事や他人に対して寛容に柔らかくなろうという意味ではないのです。色々な視点や立場に立って考えられる心の余裕を持ったうえで、自分の意見を持つことが大切だとyama はコメントをしています。
投稿された言葉についても、しっかりと受け止めてくれているのです。相手を敬いながらも誰もが飾らすにいられたら素敵だという思いが、yamaにはあるのです。
自己否定しすぎずに生きて欲しい、人生は山登りと似ていて終わりのない旅のようなもの。それでも大きな波形になり、大地を揺らすきっかけになると祈り「こだま」の歌詞をyamaは書いたのです。
メッセージ性の強い魅力的な曲に
自分の思いに対して理解や共感を得られないとしても、そういう考えもあると思える柔軟性は大切かもしれません。
もし無力さを感じたとしても山登りをしているように旅を続けていきたいと、この曲を聴くことにより思える人はとても多いと感じられます。
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