稲葉監督の経歴が気になる人もいるでしょう。東京オリンピックで「スピード&パワー」のスローガンを掲げて戦った侍ジャパン。稲葉ジャパンとも言える選手たちが、伸び伸びと全力を出した結果の金メダルという感じがします。
稲葉篤紀監督にスポットライトを当ててみましょう。
稲葉監督の起用と采配が光った金メダル
東京五輪を戦う侍ジャパンのメンバーは、登録選手24名だけという厳しい制約の中でチームのバランスを考え、選手選びから起用方法など、苦渋の決断だったことでしょう。
21歳から32歳の24名の中で若い選手の活躍も目立ちました。最年少の21歳ながら球界を代表しヤクルトをけん引するスラッガー・村上宗隆選手を8番に据える采配。
ルーキーの栗林良吏(広島カープ)を守護神として全5試合に起用して大活躍。同じくルーキーの伊藤大海(日本ハム)も、重要な局面で中継ぎとして目を見張る好投をしました。
プロ2年目の森下暢仁(広島カープ)や22歳の若きエース・山本由伸(オリックス)も期待通り、先発の柱として力を思う存分発揮しました。
プレッシャーがかかる状況で若い選手が力をせた要因には、チームをまとめる稲葉監督の手腕、のびのびとできる環境づくりの上手さがあったのでしょう。32歳の坂本勇人(巨人)や田中将大(楽天)のベテラン世代から若手まで、一致団結した強い結束力は、人望の厚い稲葉監督のためにという思いもありました。
写真撮影の際に菊池涼介選手(広島カープ)が、稲葉監督に金メダルを掛けてあげるシーンはとても印象的でした。選手から慕われている証でしょう。五輪大会中の8月3日に稲葉監督は49歳の誕生日を迎え、選手がプレゼントや歌で祝っています。
稲葉監督の経歴について
稲葉篤紀は、1972年に愛知県北名古屋市で生まれ、少年の頃から同じバッティングセンターで1歳下のイチローと、良きライバル関係でした。
中京大中京高校から法政大学に進み活躍します。大学時代にヤクルトの野村克也監督の目に留まり、1994年にドラフト会議で指名され入団。野村ID野球を学んだ優等生です。
ヤクルトと日本ハムで各10年の合計20年間で、2167本の安打を記録した名選手です。2014年に42歳で現役を引退しました。
野球解説者として活動しながら日本代表の打撃コーチを経て、2017年に侍ジャパンの監督に就任。「第2回プレミア12」で2019年に優勝を果たし、期待された東京五輪でも優勝し、金メダルを獲得した選手たちを称えるコメントが印象的でした。
プロ野球球団の監督も期待
温和な人柄で紳士的な稲葉監督は、兄貴的な親しみやすさで人望が厚く、プロ野球球団の監督就任をファンからも熱望されています。
近い将来、強い球団チームを作り上げて、プロ野球界を盛り上げてくれることを期待したいですね。