福山雅治「龍」の歌詞の意味とは?映画主題歌としての魅力について
- 2025/12/17
- 音楽

公開日 2025年12月17日 最終更新日 2025年12月17日
福山雅治「龍」の歌詞の意味は、映画主題歌として使われていることもあるためぜひ注目したいですね。
では今回は福山雅治「龍」の歌詞の意味と、曲から感じるメッセージを詳しくお伝えしていきましょう。
主題歌となる映画は?
福山雅治「龍」は映画『新解釈・幕末伝』の主題歌です。2025年11月29日にデジタルリリースされました。
映画『新解釈・幕末伝』の福田雄一監督をはじめ、映画制作陣からの「敢えて脚本を読まないでほしい、福山さんが作りたい『幕末伝』の曲を作ってください」というオファーに応え、大河ドラマ『龍馬伝』から15年の時を経て“福山流・新解釈”で書き下ろされた楽曲です。
映画『新解釈・幕末伝』のあらすじ
「新解釈・三國志」で中国の「三國志」を、独自のユーモアを交えた解釈で描いた福田雄一監督。これまでも様々な映画やドラマ、小説などで描かれた激動の時代・幕末を新たな切り口で描く歴史エンタテインメントです。福田監督作品でおなじみのムロツヨシと佐藤二朗が主演を務めています。
1800年代中期、260年続いた江戸時代は終わりを迎えようとしていました。日本の未来を変えるべく立ち上がったのは、のちに「幕末のヒーロー」と呼ばれる坂本龍馬と西郷隆盛だったのです。
大きな時代の波とともに、数々の革命的な出来事が繰り返され、やがて明治という新たな時代が幕を開けます。その裏には、誰もが想像できなかった戦いと友情の物語がありました。
「龍」の歌詞の意味について
呼ぶ声があれば我は現れるのです。祈るのなら我は降りたつでしょう。求められるのであれば、その空へ翔けるのです。
さぁ喰らってしまおう。近未来へ祝杯をしよう、この晩餐会で。血がおびただしく、次なる世代へ向けての生贄になるのです。
夢を追いかけて人恋しく自分に忙しく進んでいこう。望まなくても利害迫害差別区別が知らず知らずに傷つけてしまうのです。
我こそ其方の幸せへ、我こそこの世を正すでしょう。任せて信じてほしい。この背中に乗って修羅の旅に出かけよう。龍の背に乗り。
交わろう。愛しても憎んでも苦しいのなら。狂ってしまうような善悪の諸刃、これが人間なのです。何をしたいのかそして何が好きなのか、何が生業なのかが大切でしょう。愛し愛されるとか、自由平等の自分らしさというガラスの檻があるのでしょう。
我がことを何とでも言えばいい。我が成すことは我のみが知っているのです。笑えばいい、馬鹿にすればいい。
今日と言う日は、もしかしたら「最期」かもしれないのです。だからもっと進もう、その先に向けて。
我こそが其方を幸せにできる、我こそがこの世を正せるのです。行ってみないか、此処ではないのなら。この背中に乗って修羅の旅に出かけよう。
福山雅治コメント
福山雅治は「今作、『新解釈・幕末伝』主題歌のタイトルは「龍」。言わずもがな、それは坂本龍馬さんの「龍」であり、我々日本人にとって古から馴染みある存在の「龍」も含んでいます」とコメントをしています。
そして「もがきながら、足掻きながら、時代が求める、あるいは許容するギリギリのその場所を探し続ける」苛烈さの中の快楽、残酷さの中の甘美、そんな「人生のダンス」を表現してみました」と綴っています。
更には「憚りながら、福田監督の真骨頂は、ユーモアを前面に出すその向こう側で、鋭く核心を突く表現にあると思っております」
「本楽曲へのオファーは、監督とプロデューサーの皆様から、その「核心」の部分を背負ってくれ!という、重たくも受け止めがいのあるボールだと感じております」と伝えていて、「劇場にて楽曲の全貌をお聴きいただける日を心待ちにしております」という熱い気持ちを表現しています。
熱い思いを感じる魅力溢れる楽曲に!
映画の世界とリンクしている楽曲の中には、様々な思いが込められています。このため映画と共に、こちらの楽曲についても堪能したいですね。
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