藤川球児が引退を表明し、今季限りで現役生活にピリオドを打つことが、2020年9月1日に発表されました。野球ファンにとってはとても寂しいニュースでしたが、40歳まで全力でフレーし続けた姿は、たくさんの感動を与えてくれました。
阪神タイガースの藤川球児投手について振り返ってみましょう。
魂の火の玉ストレート
藤川球児というと、ストレートが天下一品で最大の武器です。全盛期にはストレートを投げてくると分かっていても、名だたるバッターたちが空振りしてしまうシーンは痛快そのもの。
オールスター戦で全球直球勝負を宣言しても、三振に切って取る漫画のような世界を見せてくれました。下から浮き上がってくるかの如く、重力に反した感覚の伸びのあるストレートは「火の玉ストレート」と称されました。
球の速さでは、もっと速い球を投げる投手もいないわけではありません。球のキレの良さ、回転数が際立っていたのでしょう。魂がこもった火の玉ストレートは、どんな投手にも真似できない、まさに魔球です。
あの大投手に憧れて野球を始めた
藤川球児(ふじかわきゅうじ)は、1980年7月21日生まれの40歳、高知市出身です。父が草野球の投手で、ノーヒットノーランを成し遂げた翌日に誕生したので、「球児」と名付けられました。
1歳上の兄と柔道を習っていましたが、20勝し大活躍した斎藤雅樹投手(ジャイアンツ)に憧れ、兄とともに野球を始めたのです。その時は小学3年生でした。
なんと中学時代は広末涼子と同級生。広末は次第にCMに出演し、タレントとして人気になります。将来の大スターが同じ教室で学んでいたのですね。
野球の名門・高知商業高校に進学し、高校2年生の夏に甲子園出場を果たし、兄弟バッテリーとして話題になりました。1998年秋のドラフト会議で阪神タイガースに1位指名を受け、1999年から野村監督の下でプロ野球人生をスタート。松坂大輔世代として、とても注目された選手の一人です。
退団の危機から一転
先発投手としてなかなか1軍で活躍できず、退団の危機が迫りつつある頃、入団6年目の2004年シーズン中にフォームを改良すると、中継ぎ投手として結果を残し始めます。
2005年に大ブレイク。JFK(ジェフ・藤川・久保田)と呼ばれた勝利の方程式の一人として大活躍します。2005年にはセ・リーグ優勝にも大きく貢献しました。
JFKの3投手が登場する展開になると、他の球団からすると諦めムードになるほど素晴らしい活躍でした。2006年の途中から抑えの切り札に定着し、不動の守護神となりました。
阪神タイガース公式サイト:https://hanshintigers.jp/data/player/2020/22.html
惜しまれる引退
大リーグ挑戦は肘を故障し、不本意な結果だったことでしょう。2016年に阪神タイガースに復帰し再び勇姿を見せてくれました。
今シーズンで引退することは惜しまれます。いつの日か「火の玉ストレート」を投げる投手を育ててほしいですね。