米津玄師「さよーならまたいつか!」の歌詞の意味と「虎に翼」との関連性
- 2024/4/23
- 音楽
- さよーならまたいつか!, 意味, 歌詞, 米津玄師
公開日 2024年4月23日 最終更新日 2024年4月23日
米津玄師「さよーならまたいつか!」の歌詞の意味については、NHK連続テレビ小説の主題歌でもあるため新曲としても更に興味がありますよね。
米津玄師だけが表現できる世界は、とても魅力的で謎めいているものでもあります。では今回は米津玄師「さよーならまたいつか!」の歌詞の意味、そしてNHK連続テレビ小説の主題歌との関連性も詳しく見ていきましょう。
主題歌となるNHK連続テレビ小説とは
米津玄師「さよーならまたいつか!」は、NHK連続テレビ小説「虎に翼」の主題歌として米津玄師が書き下ろした新曲です。
「虎に翼」の内容は、日本初の女性弁護士で後に裁判官を務めた三淵嘉子がモデルの、リーガルエンターテイメントです。
女優の伊藤沙莉が主演を務めていて、脚本は吉田恵里香が担当しています。タイトル「虎に翼」とは、中国の法家・韓非子の言葉で「強い力を持つ者にさらに強さが加わる」という意味で「鬼に金棒」と同義語になります。
三淵さんは「五黄の寅年」の生まれで「トラママ」と呼ばれていました。それをもじってヒロインの名前は寅子(ともこ)で、あだ名は「トラコ」です。
法律という強大な力に戸惑い、悩みながらも弱者のため自分の力を正しく使えるよう、一歩ずつ成長していくヒロインに注目したいですね。
MVについて
MVについては「さよーならまたいつか!」のアーティスト写真と同様に、三つ編みでパワー・ショルダーを着た米津玄師が登場して、ダイナーを舞台に様々な展開が巻き起こるストーリーになっています。
逆再生することにより物語が進んでいき、生まれた日から私でいたことを肯定するような作品に仕上がっています。
監督は本楽曲のアーティスト写真も撮影した、映像作家で映画監督の山田智和が担当しています。こちらについても是非チェックしたいですね。
「さよーならまたいつか!」の歌詞の意味について
春はどこからやってくるのだろう、それを知らないままいつの間にか大人になっていたのです。
見上げてみるとそこには燕が飛んでいました。何も気にしていない顔のように見えたのでしょう。もし私に翼があるのなら…こう願う度に悲しみに暮れたのです。さよなら100年先にまた会いましょう。どうか心配はしないでほしい。
いつの間にか花が落ちて、誰かが私に嘘をついたのです。土砂降りでも構わずに飛んでいける、この力が欲しかったという思いがあるのでしょう。
誰かと恋に落ちてもまた砕けて、やがて離れ離れになったのです。口の中には血が滲んだ、そして空に唾を吐いたとしても、自分に返ってきてしまうかもしれない。
瞬け羽を広げそして気儘に飛べ、どこまでもゆけと自分に向かって伝えたいのです。1000年先も憶えているだろうか。それについては知らないけれど、未来に思いを馳せたのでしょう。
時雨ている山に向かって入っていくように、もしよくないことが起こるとしても町に歩み入るのです。
人混みの中で袖が触れるのを感じる時も。でも見上げた先には何も居ない、居なかったことを憂う気持ちがあるのです。
したり顔で触らないでほしい。背中を殴りつけるような的外れな言葉を言わないで。人が宣う地獄の先だからこそ、私はそこに春を見るのです。
誰かを愛したい、でも痛くていつの間にか雨霞を浴びるように苦しい。繋がれていた縄を握りしめ、そしてしっかりと噛みちぎるのです。
貫いて狙いを定める、まさしく獲物へ向かう虎のように。100年先のあなたに会いたい思いがあるのです。消え失せないでほしい。
今また恋に破れ傷ついたように、これから先も砕けて離れ離れになるのでしょう。それでも羽を広げて気儘に飛んでいくのです。どこまでもゆけと心に思いながら。
生まれた日から自分でいたんだ、これについて知らなかったと感じるのでしょう。さぁ胸を張って生きていこう。後に残したものにはさよーならまたいつかと告げて前に進むのです。
パワーを与えてくれる曲に
毎朝聴けるものを考えて制作した曲ということもあり、軽快でしなやかなメロディが印象的な仕上がりになっています。
「虎に翼」の世界とリンクしている歌詞が多くあるでしょう。そして自分自身に誇りを持ち、歩んでいこうと思わせくれる、パワーや勇気を与えてくれる曲になっていると感じる人は多いですよね。
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