公開日 2024年8月10日 最終更新日 2024年8月10日
YOASOBI「舞台に立って」の歌詞の意味は、「NHKスポーツテーマ2024」として書き下ろされた新曲なので深く知っておきたいですね。
では今回はYOASOBI「舞台に立って」の歌詞の意味、そして曲から感じる魅力について一緒に見ていきましょう。
スポーツをテーマとして
YOASOBI「舞台に立って」は、「NHKスポーツテーマ2024」として、書き下ろした楽曲です。このためアスリートが向き合う葛藤や高揚感などを、イメージしながら制作されています。
そしてアスリートに限らず、勇気を持って踏み出さなければならない場面にて背中を押してくれる楽曲になっているでしょう。
MVについて
YOASOBI「舞台に立って」のMVは、映像ディレクターにPERIMETRONのMargtを迎え、全編アニメーションにて制作されました。
曲のテーマとなるスポーツを軸として、前を向いてひたむきに走り続ける姿、そしてこの中で立ち向かう困難や挫折を描写しています。
それぞれのスポーツのアニメーションと掛け合わせた、魅力溢れる作品になっているでしょう。
複数のアニメーターが参加をして、それぞれの色彩やタッチにて場面が描かれています。このためとても美しく臨場感のある作品になったのです。
「舞台に立って」の歌詞の意味について
無邪気に思い描いていたのです。未来の自分の背中をただひたすら追いかけていた。きっともうすぐ見えなくなるように感じるのでしょう。重なり合うことを信じているのです。ここが自分の未来だと思えるから。
多くのものの中から選んだのは、きっと最初から分かっていたのが理由。これでなければダメだということに既に気づいていたのでしょう。
誰にも負けたくない思いを持っているのです。辛くてもひたすら走り続けてきた、翌る日も翌る日も諦めることなく。
勝ち負けが明確な世界に対しては、好きなだけでは生き残ることはできないのです。いつも結果と成果が全て。遊びではない、それに対しては既に理解しているのです。
でも好きだという思いがあるから諦めなかったのでしょう。このがむしゃらに生きた毎日が、きっと願っている結末に繋がると信じているのです。
さぁ待ちに待った舞台に立つ日がきた。高鳴る鼓動、そして挑戦の合図を感じるのでしょう。何度も何度もこの瞬間をイメージしてきたのです。どんな自分でさえも超えてみせるという強い思いがあるのでしょう。
大きく吸った息を吐き、もう一度目線を上げるとかさぶたばかりの毎日も、今に繋がっていると思うことができたのです。
今、自分は夢に見ていた景色の、目の前に立っていること、これを改めて感じられるのです。不条理を前にして立ち尽くす時もあったのです。他人は好き勝手言う…と残念な思いになったことも。
何のために戦っているのか、これに対して分からなくなった時もあるのです。それでも、もう一度と思い、なんとか手を伸ばせたのです。それは隣で戦い続ける君の存在がいたからでしょう。
ずっと憧れて続けてきた舞台に立ち、これまでのことを思い返してみるのです。何度も何度も流した涙、この分だけ自分は立ち上がってきたのです。
大きく吸った息を吐き、ゆっくりと瞼を開けよう。そして踏み出して会いに行こう。思い描いた未来の私がそこにいるから。
さぁ待ちに待った舞台に立ち、今鳴り響く開幕の合図だ。この時を何度も何度も繰り返しイメージしてきたのです。
どんな自分も必ず超えて行けると思えるのでしょう。大きく吸った息を吐き、静かに目線を上げると、これまでのどの瞬間さえも無駄ではなかったと思うことができたのです。
今自分は夢に見ていた未来に立っている、改めて気づくのでしょう。無邪気に思い描いてきた未来の私、それがもうすぐ近くにいるのです。そして今確かに捉えることができたのです。
YOASOBIのコメントについて
YOASOBI「舞台に立って」に対して、YOASOBIは「実際に試合に臨まれるアスリートの皆さんへのエールはもちろん、大きな舞台に立つまでの葛藤、その瞬間の胸の高鳴りなど、私たちにも共通するような想いを込めながら作りました」とコメントをしています。
アーティストとして活動する思いに共通するからこそ、素晴らしい曲に仕上げることができたのでしょう。
そして「アスリートの皆さんの後押しになれたらと思いますし、応援する皆さんにも寄り添える楽曲であれたら嬉しいです」という願いが、聴く人にしっかり届く楽曲になっているのです。
応援をしてくれる曲に
勇気が出なくて一歩が踏み出せない時、この曲を聴くことにより進んでみようと思える可能性があります。
心に寄り添ってくれる熱さと優しさを感じられる、とても魅力的な曲になっているでしょう。
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