月亭方正の師匠との絆に感動すると話題になっています。月亭方正の師匠って誰?月亭方正とはどんな人なの?という人もいるのではないでしょうか。
月亭方正よりも旧芸名の「山崎邦正」の方がピンとくるかもしれません。人気タレントとして活躍していましたが、落語家「月亭方正」に転身した理由、師匠との絆について紹介しましょう。
ピン芸人「山崎邦正」
月亭方正(つきていほうせい)は、本名が山崎邦正で旧芸名でもあります。1968年2月15日生まれの52歳(O型)、兵庫県西宮市出身です。
1987年にNSC大阪校6期生として入り、首席で卒業。コンビ「GSX(ガスペケ)」でデビューし、1989年には早くも東京に進出、コンビ名を「TEAM-0」に変更。
1991年には、ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞するなど、アイドル的な人気もあり、期待される若手コンビでした。ダウンタウンが東京に進出し冠番組を持つと、前説に起用されやがてレギュラーに抜擢されます。
ダウンタウンの子分的存在として知名度は上がっていきましたが、相方と方向性が合わず1993年にコンビを解散し、25歳でピン芸人「山崎邦正」になりました。
苦悩との戦い
テレビ出演の機会は増え、人気タレントになりましたが、苦悩と戦う日々でした。ヘタレキャラやスベリ芸のイメージが定着してしまったためです。
NSCを首席で卒業して、目指してきたスタイルではなかったのです。子供の頃から憧れ、描いてきた芸人像と大きく違いました。
一度ついた強烈なマイナスイメージを変えることができず、芸人を辞めることも考えたり、30歳過ぎて大学で心理学を学んだり模索する時期もありました。
苦悩を救ってくれた落語
40歳手前で、芸人としての悩みを先輩の東野幸治に相談すると、桂枝雀師匠の落語を聴くように勧められます。落語の魅力に目覚めました。次第に落語をやってみたいと思うようになったのです。
2008年に月亭八光の紹介で、父である月亭八方師匠の落語会に参加させてもらうようになります。弟子入りを認められますが、師匠からは趣味的な参加と思われていました。
毎月違う演目を覚え真面目に参加を続けると、師匠に熱意が伝わり、上方落語協会に入る手続きをしてもらえることになったのです。
2009年12月に上方落語協会に入会。2012年に拠点を大阪に移し、2013年から芸名を高座名の「月亭方正」にします。
公式サイト:https://www.tukitei.com/
月亭八方師匠との絆
方正の上方落語協会への入会の際、山崎邦正としての芸風やイメージから快く思わない反対派がいたということを、後に周囲から聞きました。
「方正が何か問題を起こしたら俺も責任をとって辞める」と八方師匠が宣言し、反対派に掛け合い入会を許されたというエピソードが実はあったのです。
師匠はこのことを語りませんが、方正は師匠の思いに感謝し、日々精進を重ねています。落語家として高座をお客さんに披露し、これまでの苦悩が報われる充実した喜びがあります。褒められる喜びを現在味わえるのです。