公開日 2024年2月10日 最終更新日 2024年2月10日
菅田将暉「谺する」の歌詞の意味については、映画のための書き下ろし曲なので深く知っておきたい内容です。
映画とのリンクに対してもとても興味深いですね。では今回は菅田将暉「谺する」の歌詞の意味、そして映画の主題歌としての魅力について一緒に見ていきましょう。
主題歌となる映画とは
菅田将暉「谺する」が主題歌となる映画は、「劇場版 君と世界が終わる日に FINAL」です。「谺する」は、この映画の為に菅田将暉もプロデュースに参画し、バンドメンバーのタイヘイ(Dr.)と共に作り上げた楽曲です。
2021年に地上波で放送された「君と世界が終わる日に」Season1の主題歌「星を仰ぐ」を担当して、放送終了から3年の月日を経て劇場版にて再タッグとなりました。
製作陣からの依頼を受けて楽曲作成をしてきた菅田将暉。「製作スタッフの想いをそのまま表現したい」という気持ちで書き下ろした、ダイナミックなギター音がメインの魅力溢れる楽曲になっています。
「谺する」の歌詞の意味について
いつか霞んでしまうその瞳を感じるのです。いつまでもそして一度でも、見えない光に対しては何度でも灯りに変わりゆくまでと願いながら。
優しい声でただ「おかえりなさい」の一言、それだけで良かったのです。本当なら祈るようなことはたった一つもないのでしょう。
いつもの通りに「ただいま」と陽だまりがあり空もなぜか嬉しそうなのに。どうかもう涙はこぼれないでほしい。
世界に対して何を願えばいいのでしょう。もう戻らない日々の中で、変わらないあなたの叫び声がある。それでも愛を謳い続けたいのです。
再会と別れ、旅立つのは何気ない日々かもしれない。でもあなたは一人ではないから、どうか私に微笑みかけてほしい。
明るい声でただ「見ていてね、ほら」と言ってくれたらいいから。雲をつかんでいる小さな手があるのです。そして触れられないものなんて一つもないのでしょう。ふざけ合った「おやすみ」もあったから。
鎮まる夜が谺しそうに感じるのです。永遠にまで今、約束をしたい思いがあるのでしょう。世界に対して何を願うのだろう。もう聴こえないこの日々の中で。
最期が変わるわけではないけれど、愛を信じていたい気持ちがあるのです。いつかは届くこの声が大切な人に響くまで、それを生きる誓いのしるしにしたい。
消えない涙のあと、ぎこちない笑顔であれば小さな夢の続きを今騒がしく放ってみよう。世界が終わるその日から、光り出す魂があるのです。これが繋いだ命の照明だから、未来に変わりゆくまで続くことなのでしょう。
菅田将暉のコメントについて
どうしようもない悲しみの中で、涙や鼻水そして血液が乾く暇もなく何度も地面に叩きつけられる中、それでも生きていくしかない主人公。
そのバイタリティの根源にある「果てしない愛情」に対して、その思いが世界中に谺してくれという願いと共に、強く抱きしめたい気持ちにかられ主題歌を作ったと、菅田将暉がコメントをしています。
どうか映画と共にスクリーンから飛び出して、心という心に降り注いでくれとの願いが込められているのです。
終わりと始まりについて
人生の中では出会いと別れがあり、そしてこれが新たな始まりになる時もあるのです。これらの出来事については本来日常的なものでしょう。
でも未来への希望を持ちながら、進んでいきたいとこの曲を聴くことで思えるのです。自分の信じる道を歩むことができたとしたら、きっと世界が変化したとしても歩み続けていけるでしょう。
過ぎ去った日々を大切にしながら、愛と未来への希望を心に抱いている曲の中の主人公の思いは映画の世界とリンクしていると感じます。
決意をしたことにより強さを持てるのでしょう。そして優しさを大切にすることもできるかもしれません。メッセージ性のとても強いとても魅力的な曲になっています。
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