
公開日 2025年10月5日 最終更新日 2025年10月5日
米津玄師,宇多田ヒカル「JANE DOE」の歌詞の意味については、大ヒット中の劇場版のエンディング・テーマでもあることから、深く知っておきたい内容です。
では今回は米津玄師,宇多田ヒカル「JANE DOE」の歌詞の意味、そして曲に込められた思いを詳しくお伝えしていきましょう。
米津玄師,宇多田ヒカル「JANE DOE」の歌詞の意味
エンディング・テーマとしても大注目!
大ヒット中の劇場版『チェンソーマン レゼ篇』エンディング・テーマ曲が、米津玄師,宇多田ヒカルの「JANE DOE」です。
米津玄師が作詞・作曲を手がけ、宇多田ヒカルを歌唱で迎えたデュエットソングです。「JANE DOE」オファーの経緯は、「ピアノのリフとか作っているうちに。もうどうも、宇多田さんしかいないんじゃないかっていうことを思い始めたら止まらなくなった」という米津玄師の思いがあるのです。
米津玄師コメント
米津玄師は「『チェンソーマン』っていう漫画があって、その映画の曲──エンディングに流れる曲を作らせてもらえるということが決まって。わりと制作陣も好きに作ってくださいっていう感じだったんですけど、歌うのは自分じゃないなというのがまずあって。自分が歌うにしては、声が低すぎるし」とコメントをしています。
そして「なので、誰か別の人に歌ってもらおうっていうことを、なんとなく決めて作り始めたんですよ。で、ピアノのリフとか作っているうちに、もうどうも、宇多田さんしかいないんじゃないかっていうことを思い始めたら止まらなくなって」と綴っています。
更には「一回ダメモトで聞いてみてくれませんか?っていうことで、オファーさせてもらって。だから受けてもらえるってことになった瞬間、「ええっ!? そんなことがあるんだ!」という感じでしたね」と話しているのです。
共鳴する思い
ともに漫画家を夢見た子ども時代があり、身体性が創作に及ぼす影響、そして科学への憧憬までを語り合った二人。
今回のコラボを通じてより深くお互いについて理解し、そして自分の思いを伝え合えたのでしょう。
ミュージックビデオの撮影直後に行われた対談動画では、二人の出会いから、「JANE DOE」オファーの経緯や二人の違いなど、幅広いトークが繰り広げられました。ミュージックビデオの雰囲気とは打って変わった和やかなムードの対談となったのです。こちらについてもぜひチェックしたいですね。
「JANE DOE」の歌詞の意味
まるでこの世界で二人だけのように感じるのです。そんな夢を少しだけ見てしまっただけなのでしょう。
つま先には月明り、そして花束の香りがあり指に触れる指があるのです。でもさよならが来るのでしょう。もう行かなければいけない、何もかも忘れようという思い。
硝子の上を裸足のままで歩いているように、痛むごとに血が流れて落ちていくのです。でもどうかお願い、この赤い足跡を辿って会いに来てほしい。
錆びたプールに放たれていく金魚のように。靴箱の中くに隠した林檎があるのです。萎びた君の肌に残る傷跡は、犬のように泳いだ迷子だと感じるのでしょう。
どこにいるの?「ここにいるよ」何をしているの?「ずっと見ているよ」この世を間違いで満たしてしまおう。側にいてよ、そして遊びに行こうよ。ねぇどこにいるの?
硝子の上を裸足のままで歩く、痛むごとに血が流れ落ちていくのでしょう。でもどうかお願いだから、この赤い足跡を辿ってきて、そして会いにきてほしいのです。まるでこの世界で二人だけみたいだね、そんな夢を少しみてしまっただけなのです。
孤独の中でも夢を見たい思いが込められた楽曲に
孤独を抱えている二人、でも夢を見ることの美しさそして先にある痛みを感じるのです。二人きりの世界に閉じこもれば幸せを得られる、でも痛みを伴う愛情と依存があるのでしょう。
でも最後には夢をみてしまっていたと現実に戻るのです。この曲に込められたメッセージは「儚いものだと知っていても、求めずにいられない関係」なのでしょう。
苦しみがあっても理解してくれる存在がいるという、捨てきれない気持ちや願いがあるのです。
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