
公開日 2025年7月14日 最終更新日 2025年7月14日
WANIMA「分岐点」の歌詞の意味については、ツアーのオープニングSEとして制作された楽曲でもあるためとても興味深いですね。
では今回はWANIMA「分岐点」の歌詞の意味、そして曲に込められたメッセージを詳しくお伝えしていきましょう。
サプライズ配信!
WANIMAの新曲「分岐点」は、ツアー【Sorry Not Sorry TOUR】のオープニングSE曲として制作されました。
実際に毎公演、各会場で使用されていたのです。そしてついに2025年6月27日に神奈川・パシフィコ横浜で開催されたファイナル公演の終演後に、サプライズでリリースが発表されました。ファンとしてはとても嬉しい瞬間になったのです。
MVについて
YouTubeで、WANIMA「分岐点」の高良健吾が出演するミュージックビデオが公開されました。
高良健吾はWANIMAと同郷の熊本県出身です。更にはWANIMAのFUJI(Dr, Cho)と同じ高校の先輩後輩という縁があったのです。MV撮影の1週間前に、FUJIが高良健吾に連絡したことで、急きょ撮影が実現しました。
MVで高良健吾は、葛藤を抱えながら生きる男性を熱演しています。朝日に向かって走るシーンやWANIMAの演奏シーンで構成されている素晴らしい仕上りに。
撮影を振り返って、高良健吾は「忙しいのでどれくらい時間がかかるか?と確認したら、『すぐ終わる』と言われたが内容が走り続けるカロリーのかかるものだったけれど、楽しかった、うれしかったです」とコメントをしています。
更には「分岐点」について「生きていたらぶつかる何かや向き合わないといけない感情から生まれた楽曲だと思う。自分を掘り下げた時に向き合いたくない何かや認めたくない何かが見つかったことがある経験をした人に刺さる楽曲だと思った」と感想を述べているのです。
そしてWANIMAのKENTA(Vo, B)は「ツアーのSEとしてお客さんと僕らで大事にしてきた楽曲のMVに同じ熊本の高良さんに出演していただいて忘れられない作品になりました」と語っています。ぜひこちらのMVもチェックしましょう!
分岐点の歌詞の意味について
確かにそして静かに流れてゆく命だと感じるのです。限りがあるからこそ、瞬間には愛が必要なのでしょう。
ここで今夜始めていきたいのです。どんな日々を過ごしてきたのでしょうか。あれもこれもと浮かぶ景色、これをただ確かめ合うようにしてまた一緒に歩き出したいのです。
そうすれば見たことのない世界を楽しめるでしょう。大切な人と一緒に過ごした町並みが心に浮かぶのです。何でもないよという思い、そして何にもないという気持ちになるのです。
あれから一体どれぐらい、どんなふうに何が変わったのかと考えてみるのでしょう。あれから一体どれぐらいどんなふうに何が分かったのかという思いもあるのです。
心安らぐ場所を求めているとしても、何処にもないと感じるのでしょう。明けない夜をただ彷徨い迷い続けるのです。
いつだってそう、でもこれはいつまでこうすればいい?この状態から抜け出すことができず、生きるとはこういうことなのかと心に思うのです。でも逃げるようにこの思いを遠ざけるのでしょう。
短い永遠の終わりを知り、こびりついた汚れに対して払い落として洗い流しているのです。
ここで終わるわけにはいかないという気持ちがあるのです。冷めきった下界にてまだ何故このままなのだろう…。
痛みを散らしてほしいと星に願うのです。込めて、超えて、そして燃えて飛んでいこう。訪れた分岐点に対しても。
分岐点はいつ訪れる?
分岐点はふとした時に突然訪れるものでもあります。このような時に、迷い悩む人は多いでしょう。
でもこの曲を聴くことにより、熱くて強いメッセージを感じられます。このため「分岐点を超えて歩んでいこう」という思いを持つことができるでしょう。
力強いサウンドに励まされ、これからも歩んでいこうと思える楽曲なのでこれからも大切に聴いていきたいですね。
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