笑い飯のネタの特徴はWボケとよく言われ、お笑いファンだけでなく、芸人仲間からも厚い支持を得ています。今でもM-1グランプリを思い返す上で、数々の伝説を残しています。
西田幸治と哲夫の最強ボケコンビ「笑い飯」について、振り返ってみましょう。
コンビ結成とコンビ名の由来
西田幸治は、1974年5月28日生まれ、奈良市出身です。1995年にNSCに入るも自主退学し、コンビ「たちくらみ」で活動します。
哲夫(本名:中西哲夫)は、1974年12月25日生まれ、奈良県桜井市出身です。大学卒業後、コンビ「スキップ」で活動していました。
ライブ仲間であったことがきっかけで、2000年にコンビを結成。コンビ名はインディーズのライブ名「笑いで飯が食えるか!」が由来となり、コンビ名を「笑い飯」としました。ともに前コンビでボケ担当だったことから、ダブルボケのスタイルが生まれます。
M-1グランプリでの伝説
結成翌年の2001年に始まったM-1グランプリ、初回こそ2回戦止まりでしたが、第2回大会で、無名の笑い飯が決勝に進み、3位に入る快進撃を見せます。
第3回と第5回の大会では、惜しくも1票差で準優勝。フットボールアワー、ブラックマヨネーズに一歩及びませんでした。
第9回大会では、伝説の「鳥人」ネタで、島田紳助の100点が飛び出すなど、衝撃を生みます。しかし、最終決戦でバンクブーブーに敗れ、3度目の準優勝に終わります。
2010年の第10回大会でM-1が終了することが決定(後に5年後復活)し、優勝する最後のチャンスとなります。
第2回から9年連続、毎年決勝に進出する常連で、優勝候補に何度も名を連ねました。悲運の王者で終わるのかとも思われましたが、ラストイヤーの第10回大会で、スリムクラブを一票差で破り、悲願の優勝を果たしました。
9年連続決勝進出し、全て上位の5位以内。最終決戦に5回進出し、2位が3回。唯一100点をもらったコンビなど、M-1の伝説となっています。
毎年、進化を続けないと評価をされない意識があり、「笑い飯」の独自な視点のWボケは名人芸となりました。
ピンでも個性を発揮
今でも吉本の舞台などで人気があるコンビですが、それぞれ個人の活動でも個性を発揮して活躍しています。
西田は、ピン芸人としてもオールマイティで、大喜利対決「IPPONグランプリ」で2020年12月に優勝、「千原ジュニアの座王」では、絶対王者の称号をもらう活躍をしています。
哲夫は、インテリ芸人としても知られ、仏教や仏像の知識が豊富で、執筆や大学の客員教授も務めます。後輩芸人の面倒見がよく慕われるなど、慈悲深い一面があるのです。これからも笑い飯の活躍に注目しましょう。