公開日 2023年1月22日 最終更新日 2023年1月22日
Vaundy「まぶた」の歌詞の意味については、ドラマの主題歌でもあることから内容に対して把握しておきたい人も多いのでは。
この曲を聴いて、Vaundyの新しい魅力を感じる人もいるかもしれません。では今回はVaundy「まぶた」の歌詞の意味と、ドラマとの関連性について詳しくお伝えしていきましょう。
ドラマについて
Vaundy「まぶた」は、フジテレビ系で放送中のドラマ「女神の教室~リーガル青春白書~」の主題歌です。
作詞作曲だけではなく、MVの監督からジャケット撮影についてもVaundyがおこなっています。
目を瞑ることで相手のことがわかる、相手を理解するために時に目を瞑る必要があるということを「まぶた」をテーマに表現しているのです。
大学の派遣教員として教壇に立つことになった主人公。裁判官という職業柄、エリートで完璧なタイプに思われがちですが、実際にはそうではないのです。
学生時代に父親が勤め先の町工場を解雇されて、原告側の家族として裁判に同席しました。裁判官がそれぞれの原告の話に熱心に耳を傾ける姿に感銘したのです。
そして自身が裁判官になってからは、かなりハードな日々が続きました。その中で裁判所の所長から辞令を渡され、派遣教員としてロースクールへの勤務を命じられることに。
主人公は新しい場所にて奮闘をしながら、人を知るための授業を始めていくのです。
「まぶた」の歌詞の意味について
大切な人が今も、はにかんで涙を流している。だからこちらに向かう言葉も、血がにじむように見えるのです。
きっと日々の蟠りが香ってくる、そんなにおいがするのです。これはつーんとしているようなもの。悲しみが瞳を刺すようにも感じるのでしょう。
もしも相手の手を取ったとしても、悲しみが消えないのなら忘れてほしい思いがあるのです。まぶたが疲れるほど、自分たちは目を閉じ合うことにより少しずつでも分かるようになる可能性があると感じるのでしょう。背を向け合うことにより、確かめ合いながら生きているのかもしれません。
大切な人が今も、苦しいように爪を噛んでいる。そして伝えてくる言葉は、心に巻き付いて根を張るように思うのです。
これは針の先に指が触れるような感覚。つーんと刺すような寂しさ、それが今は瞳を刺しているのでしょう。
もしも濡れているから、これによって霜が着くようなら流してしまってほしい。瞼が疲れてしまうほど、自分たちは目を閉じ合えば少しずつ分かるかもしれない。
背を向け合うことにより、確かめ合い生きていける可能性があるのです。もし枯れ果ててしまったことで、香り出して痛む時があるのならその時はどうか思い出してほしいのです。
瞼が疲れるまで、僕たちは目を閉じ合えば分かるようになる時があるかもしれません。背を向け合う、そして確かめ合いながら生きているのです。
目を閉じ合うことにより、背伸びをしないで疲れずに生きられる可能性もあるでしょう。背で受け合う先、そこには見つめ合い生きることができる日々が待っているかもしれません。
ドラマとのリンクについて
お互いを理解しあおうとしても、努力をしてもできない時もあるでしょう。でも諦めずに、このような時には目をお互いに閉じ合うようにするのも必要に。
「表面的に見てしまう」こう感じた時には相手の心を見るようにすると、よい場合もあるかもしれません。
背中を合わせるような中でも、目を閉じれば心が見つめ合えると感じられるはずです。心が通じ合う相手を見つけ出すことができれば、きっと日々は今よりも穏やかなものになるでしょう。
このことについて、曲を通して教えてくれているように感じます。相手を知ろうとして、こちらを知ってほしくて、無理をしすぎてしまう時もあるはず。
このように思った時にはこの曲を聴くようにすると、今後の関係性がよい方に変わっていく可能性があるでしょう。
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